−1−
概 要
いわき市について
1 面積・人口
2 市の位置・地勢
3 福島県内の原子力発電所
■面 積:1,231.35㎞2
■人 口:332,955人
■世帯数:127,313世帯 (※平成24年2月1日現在)
いわき市は、福島県の東南端に位置し、南は 茨城県、東は太平洋に面しており、寒暖の差が 比較的少ない穏やかな気候に恵まれています。 地形は、西方の阿武隈高地(標高500m~700 m)から東方へゆるやかに低くなり、東側には、 夏井川や鮫川などの河川の河口部を中心に、平 野となだらかな丘陵が広がっています。 また、太平洋沿いの海岸線は、南北約60㎞に わたり、白砂青松と岩礁が繰り返し続き、「い わき七浜」と呼ばれる美しい景観を織り成して います。
福島県の浜通り中北部の相双地方には、東京 電力㈱の商用発電炉(計10基)が運転されていま した。
その発電量(909.6万Kw)は、日本の原子力発 電電力量のおよそ20%を占め、日本有数の電力 供給地となっていました。
⑵ 福島第二原子力発電所 福島第二原子力発電所(以下「福島第二原発」) は、双葉郡の楢葉町と富岡町にまたがって立地 し、1982年(昭和57年)4月に1号機の運転を開 始させ、計4基の発電設備を稼動させていまし た。
⑴ 福島第一原子力発電所 福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」) は、双葉郡の大熊町と双葉町にまたがって立地 し、東京電力㈱が初めて1971年(昭和46年)3月 に1号機を運転させ、以来計6基の発電設備を 稼動させていました。いわき市は、福島第一原 発からおおむね半径30㎞から70㎞圏内に位置し ています。
いわき市 田 村 市
福 島 市
●
● 郡 山 市
白 河 市 南会津町
南相馬市 会津若松市
いわき JCT 郡山 JCT
吾妻山
須賀川
西那須野塩原 いわき勿来
小野
三和 常磐富岡
猪苗代湖
安達太良山 磐梯山
霊山
大滝根山
那須岳
福 島 県
福島第一原発
福島第二原発 20㎞
50㎞ 30㎞
市 章
国道289号 国道49号
JR磐越東線
6 号 国 道
磐 常
動 自
道 車
磐越 自動
車道
常 JR 線 磐
白 道
道
いわき市 福島県
島 名
※いわき市からの距離は、 鉄道の営業キロ数です。
県内原子力発電所の位置と福島第一原発からの同心円図
から
年3月11日に発生した東日本大震 から、1年を ることとなりました。 この震 により、お くなりになられた方 に、 めて 侲の を しま すとともに、被 された 紼に心からお いを し上 ます。
また、この 、全 、 いては世 中の方 や 、 などの 紼から、 や の佞供、人 の偎 など、 かい をいただくととも に、市内 の の 紼から大きなお力侃 をいただきましたこと、 心から く 綶 し上 ます。
東日本大震 は、大地震、大津波、そして原子力発電所 が なった世 に維を ない 合 害として、本市に甚大な被害をもたらしました。 震 は、 やかに市 害 本部を設置し、1日も い市 生活の 倰と
被 された方 の生活 への道 を けるため、24 で、 綎や水、 紅 などの生活 の や の 、被 された方 を け倥れるための 倘所の設置 運 、さらには原発 への や 何 の など、日 、俘 発的に こる 数の 象への に全力で便たりました。ま さに、 害発生から数 は、市 の生 を るため、 られた と のなかでさま まな
と が められる、 しい 面下での 害 となりました。
その も、被 された方 の生活 を最純 に ながら への侣 くりを 力的に め、 年12 月には、 に けた 的な り を す 計 を 何いたしました。
、計 の 現に け、本 的な への り を めてまいりますが、 日本の をいわきか ら との強い いのもと、 市 の 紼の 全 心の と 震 にも して活力に れた、 世 に る 生 となる 続 偂なま いわき を し、 き続き全 全綻をかけて り でまいります。
さて、この 有の大 害に し、本市の被害 や 害 、さらには に けた り な どに いて、 を させることなく、 の として 世に すため、 絆 として本 を いた しました。 られた 面では りますが、本 が、 の の一 となれば いで ります。 びに、本 の に たり 力いただきました関 位に心から 綶 し上 ます。
市
渡 辺 敬 夫
いわき市について……… 1
東日本大震災について……… 2
震災発生から 市の被害状況……… 3
災害対策本部などの動き……… 4
避難所の設置・運営……… 8
消防本部の活動……… 9
医療機関の動向………10
国内外からいただいた支援物資………11
義援金の受け入れと配分………12
大量の災害がれきの発生………13
大き を た 枯渇したガソリンと物資の不足………14
大規模断水からの懸命な復旧………15
ライフライン復旧への道のり………16
寸断された道路………17
交通機関および港湾の状況………18
に い の い 放出された放射性物質への対応………20
て 住家の再建に向けて………23
行政機関からの人的支援………24
ボランティアの活動………25
市内公立小中学校の再開………26
風評被害の払拭に向けて………27
復興に向けた歩み………28
震災からの 震災からの主な経過(∼4月30日)…………32
被災状況………38
直下型余震の被災状況………45
がんばっぺ いわき ………46
鎮魂………48
・本誌中の記載において、特段の記載がない場合は、平成24年2月1日現在の状況としています。また、年号表記がないものは、すべて平成23年としています。
・本誌に掲載している写真については、本誌の作成にあたり使用を許可されたものであり、無断での複製・出版・販売等著作権を侵害する一切の行為を禁止します。
ふっしょく
−3−
市の被害状況
久之浜の蔭磯橋では、津波により損壊し た水道管がむき出しに(4月14日)
小名浜の下神白保育所は津波で全壊した が、保育士の適切な避難誘導により子ど もたちは全員無事だった(4月23日)
四倉の市営住宅梅ヶ丘団地では敷地内の 一部が崩壊(4月27日)
落下した図書で通路が埋め尽くされたい
わき総合図書館(3月12日) 斜面が崩落し道路が完全にふさがれた内 郷内町の市道宮沢・蛭内線(4月26日) 津波に押し流された車が永崎小の校舎の
中に(3月12日)
日 によ ( 24 2月1日 ) 中 管内267名、
管内31名、 管内12名 中 管内2 名、
管内4名、 管内4名 6 2も 中
全壊 壊 一部損壊
の
道路 橋
・水路 く れ 水道 下水道など
など 道・
市営住宅
・ 地 福
車 の
舎、 所など
、
小中 校、 館など 26 所、 1 所
中 市 など 団地など
沢 、 崎 など
保育所、 など
舎、 団 など
、 など
31 名
37名 7 64 2 23 43 3
11 2 2 所
27 所 2 46 所 2 所 164 所 326 所 3 4 7 所 1 131 所 316 所 1 6 所 4 所 団地 72 所 133 所 13 所
34 37 所 住
住
の の
−2−
東日本大震災について
1 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震
気象庁によると、この地震は、東北から関東にかけての太平洋の沖合で岩盤が大きくずれたことにより発 生したものとされています。ずれた範囲は、南北約450㎞、東西約200㎞にも及びました。
この地震で、いわき市では、震度4以上の揺れが約190秒も続き、最大の震度は6弱を観測しました。 また、地震活動は本震−余震型で推移しており、平成24年1月10日現在で最大震度6強の余震が2回、最大 震度6弱が2回、最大震度5強が10回、最大震度5弱が30回、最大震度4が175回発生しています。
この地震により、福島県相馬で高さ9.3m以上、宮 城県石巻市鮎川で8.6m以上の非常に高い津波を観測 するなど、東北地方から関東地方北部の太平洋側を中 心に、北海道から沖縄にかけての広い範囲で津波を観 測しました。
市内でも沿岸部全域に津波が押し寄せ、甚大な被害 をもたらしました。市内沿岸部の主な浸水高は次のと おりです。
プレート境界プレート境界
の
のの
の の に
成
ー
※
※ 発
の
2 本市を襲った津波
久之浜町田之網字浜川
7.45m
(103m)四倉町字東二丁目
7.55m
(142m)平藤間字鯨
5.08m
(169m)平薄磯字中街
8.51m
(151m)平豊間字下町
8.57m
(103m)江名字江ノ浦
6.81m
(18m)永崎字川畑
5.38m
(163m)小名浜下神白字松下
6.81m
(56m)岩間町岩下
7.66m
(166m)錦町須賀
6.7 m
(169m)勿来町九面九浦町
4.9 m
(13m)公益社団法人土木学会「東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ」(http://www.coastal.jp/ttjt/)による速報値(2012年2月3日参照)
※浸水高は、TP(東京湾平均海面)からの高さ
※( )内は、海岸から測定地点までの距離
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
※気象庁発表のデータをもとに作成
−4−
1 震災発生から
−5−
完了したことから、8月31日に避難勧告を解除しましたが、常磐西 郷町忠多地区および内郷高坂町高橋地区の一部については、復旧工 事が完了していないため、現在も避難勧告を継続しています。
避難勧告を発令した常磐西郷町忠多地区
(3月12日)
川前町の民家で行った除染作業(12月14日)
BSフジ「PRIME NEWS」へ生出演し、がれき 処理の課題について訴えた(7月13日)
3 原発事故による自主避難
4 市長・災害対策本部からの情報発信
⑴ 早めの自主避難
3月12日15時36分に福島第一原発1号機が水素爆発を起こすなど、 原発事故の状況が時間とともに深刻化していくなか、国による避難 指示の範囲が福島第一原発の半径10㎞から20㎞に拡大され、また、 より本市の近くに立地する福島第二原発については、情報が入らず、
市は、震災発生直後から、FMいわきをはじめテレビやホーム ページなどを通じて、市民の皆様に落ち着いた行動や協力のお願い のほか、物資や燃料の不足に対する市の対応の状況など、さまざま な情報を発信してきました。また、「①地震」「②津波」「③原発事故」
「④風評被害」の“四重苦”に苦しめられた本市の現状を一刻も早く 改善するため、市長や副市長自らが、テレビや新聞などのインタ ビューに対応し、本市の窮状などを全国に発信するとともに、全国 の関係機関などに対し支援や協力をお願いしました。
⑵ 「市長が定める自主避難区域」を設定
4月22日以降、市内全域が原発関連の規制区域外となりました。 しかし、川前町下桶売(志田名、荻)地区で、市内の他地区と比較 し高い放射線量が観測される地点が確認されたことから、7月5日 に市独自の措置として、当該地区を「市長が定める自主避難区域」に 設定し、避難を希望される住民に、一時提供住宅の確保などの対応 を行いました。
また、市はこの地区を優先的に除染する方向で取り組みました。 一時、除染により生じる廃棄物の仮置き場の問題が発生しましたが、 現場保管が可能となったことから、12月から試行的な除染作業に着 手しました。
なお、本市は、12月28日、放射性物質による環境の汚染の状況について重点的に調査測定をすることが必 要な地域となる「汚染状況重点調査地域」(平均的な放射線量が1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上の 地域を含む市町村)として、国により指定されました。
不透明な状況が続きました。
市はその後の事態のさらなる悪化を考慮し、福島第一原発から30㎞、40㎞、50㎞圏内ごとの避難計画の作 成を進め、市独自の判断に基づき、翌13日早朝には久之浜・大久地区の住民に自主避難を要請し、移動手段 として大型バスを確保しました。また、3月15日9時30分には、同じく30㎞圏内にかかる小川町上小川戸渡 地区(23世帯・57人)および川前町下桶売(志田名、荻)地区(46世帯・131人)の住民に自主避難を要請するなど、 市民の皆様の安全・安心の確保を第一とした早めの対策を講じました。
なお、総理大臣より福島第一原発の半径20㎞から30㎞圏内の住民に対する屋内退避指示が発令されたのは、 3月15日11時でした。その後、4月22日に総理大臣より、福島第一原発の半径20㎞から30㎞圏内の屋内退避 指示の解除および「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」の設定に関する指示があり、市内全域が原発関 連の規制区域外となりました。
1 震災発生から
−4− −5−
災害対策本部などの動き
平成23年3月11日㈮14時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大規模の大地震(マグニチュード 9.0)が発生。市は地震発生直後の14時50分に災害対策本部を設置し、24時間体制で災害対策業務を開始 しました。
1 災害対策本部を設置
2 地震・津波による避難指示・避難勧告
市消防本部に設置した災害対策本部では震災 当日から連日対策本部会議を開催(3月12日 2:30ごろ)
津波の避難広報を行った消防団車両(3月11日 15:25ごろ いわき民報社提供)
市長は、震災発生直後の14時50分に、市消防本部庁舎内に災害対 策本部を設置。同時に、避難所開設や食料、寝具などの調達の指示 を行いました。同16時30分には、福島県知事に自衛隊の派遣を要請。 同23時には、郡山市から陸上自衛隊第6高射特科大隊が到着し、災 害支援活動を開始しました。
震災発生から一夜が明けた翌12日4時10分、日本赤十字社福島県 支部にDMAT(災害派遣医療チーム)の派遣を要請。一方で、市内 製パン業者やJAいわき市などの協力で、避難所へ配送するおにぎ りの炊き出しや、いち早く届けられた支援物資の避難所への配送を 開始しました。
⑴ 津波による市内沿岸部に対する避難指示 3月11日14時49分、気象庁から大津波警報が発表されました。 市は、14時51分に防災行政無線で避難指示を出すとともに、沿岸 部を所管する各消防署や消防団が、消防車両などにより海岸付近の 住民へ避難を呼びかけました。
さらに、同15時45分には、市内沿岸部全域に対し、サイレン吹鳴 により再度避難を呼びかけました。
なお、市内を襲った津波については、気象庁が小名浜港4号ふ頭 の岸壁に設置した観測機器によると、14時52分に1.0mの第1波を 観測した後、15時39分に最大波として3.3mの津波を観測していま
す。 その後、地震発生から2日後の3月13日17時58分に、気象庁の津波注意報が解除されたことを受け、同時 刻をもって市内沿岸部に対する避難指示を解除しました。
しかし、この津波により市内の沿岸部で多くの家屋などが流出し、現在も多くの市民が仮設住宅などにお いて避難生活を余儀なくされています。
⑵ 地震による避難指示・避難勧告 3月11日の地震の後、数え切れないほどの余震 が発生するなか、大震災発生から1カ月後の4月 11日と翌12日に、再び震度6弱の地震が市内を襲 いました。これらの地震により、市内の各地で土 砂崩落や地滑りなどが発生したため、市はこれま で避難指示や避難勧告を相次いで発令しました
(右表参照)。
このうち田人地区については、その後土砂崩落 などの兆候が認められないことから、4月16日に 避難指示を解除。また、渡辺町上釜戸地区では主 要地方道いわき石川線の土砂崩落の仮復旧工事が
勧告地区 避難 避難勧告
常磐西郷町忠多地区
(忠多団地) 3 17 0 :30 避難勧告発令
6 2 09:00 避難勧告発令 4 15 14:30 避難 発令 4 16 1 :00 避難 除 4 22 16:00 避難勧告発令 31 15:00 避難勧告 除 地区の 部(
)
町 地
区の 部(2 6 ) 郷 町 地区の 部(3 )
避難 避難勧告の
−6− −7−
6 東京電力㈱に対して
7 市議会の動き
東京電力㈱社長らから謝罪を受ける市長
(6月30日)
福島県議会議長への要望活動(4月5日)
東京電力㈱の幹部が出席した特別委員会
(7月29日)
震災発生以降、国や県、原子力安全・保安院など関係機関に対し、 福島第一原発事故の早期収束などについて多くの要望や申し入れを 行ってきました。このようななか、事故発生から3カ月を経過した 6月30日に、東京電力㈱の西沢俊夫社長および前社長の清水正孝顧 問が、社長交代に伴うあいさつのため、初めて本市を訪れました。 市長は新旧社長より謝罪の弁を受けた後、清水顧問が本市に役 場機能を移転している広野町災害対策本部を訪れた際(5月4日)に、 本市の災害対策本部を訪れなかったことに対して事故企業としての 対応を厳しく問うとともに、福島第一原発事故の早期収束や適正な 補償の実施について、強く申し入れを行いました。
⑴ 市議会対策本部を設置
市議会は、甚大な災害に対応し、市の災害対策や災害復興などに 寄与するため、3月28日に、市議会内部に「いわき市議会東北地方 太平洋沖地震対策本部」を設置(4月2日に「いわき市議会東日本大震 災対策本部」に名称変更)。対策本部会議において、震災からの復旧 に向け要望内容の協議などを行い、国や県、東京電力㈱などに要望 活動を行いました。
⑵ 東日本大震災復興特別委員会の活動
市議会は、被災者や地域住民の声を市政に反映させ、市の復興計 画が市民の要望と信頼に応えるものとなるよう、復旧・復興に向け た諸課題を調査するため、6月16日に「いわき市議会東日本大震災 対策本部」を発展的に解体し、「東日本大震災復興特別委員会」を設 置。同委員会の中に3つの分科会(①市民生活の復興推進に関する こと ②地域産業の再生・復興及び雇用対策に関すること ③防災 まちづくり及び原子力災害対策に関すること)を設置し、議論を重 ねてきました。検討結果については、市長に対する提言書としてと りまとめ、7月29日の緊急提言を皮切りに、これまで3度の提言を 行いました。
また、7月25日には東京電力㈱幹部の出席を求めて特別委員会を
開催し、福島第一原発事故について、冒頭に東京電力㈱から謝罪と説明を受けた後、質疑応答を行いました。 さらに、12月26日には、正副議長をはじめ各派代表者、議会運営委員会委員、東日本大震災復興特別委員 会正副委員長が東京電力㈱本店を訪れ、「福島第一原子力発電所からの放射性物質汚染水の海洋放出計画に 抗議し撤回を求める決議書」を提出しました。
また、9月13日には、東京電力現地対策本部を訪問し、福島第二原発の確実な安全対策や福島第二原発周 辺地域の安全確保に関する協定書の締結について、申し入れを行いました。
給油所へ政府調達ガソリンを搬入したことを皮切りに、3月20日からの段階的なガソリン供給につなげるこ とができました。
さらに、原発事故の早期収束や適正な補償、風評被害の解消、本市の災害対策や復旧・復興に対する財政 的な支援などの中・長期的に解決が求められる事項についても、国や県、関係機関などに、これまで文書に よる要望を重ねてきたほか、6月6日には、市長が上京し、内閣総理大臣をはじめ関係大臣に対し、震災復 旧・復興に向けたさまざまな分野における緊急要望活動を行いました。今後も、いわき市の再生と復興に向 けて取り組むため、既存の法令や制度など、従来の枠組みにとらわれない政策立案と早期・確実な具現化な ど、市単独では困難な事柄についての実施や市の取り組みへの支援を国などに対し継続して求めていきます。
−6− −7−
5 関係機関への働きかけ・要望
菅総理大臣(当時)へ緊急要望活動を行う市長
(6月6日)
ライフラインの断絶や原発事故の風評により物流がストップする など、本市の置かれた状況は非常に厳しく、市民の皆様の生活が立 ち行かなくなる恐れがありました。
このため、市は震災後10日間ほど、食料品や飲料水、医薬品、日 用品、ガソリンなどの生活必需品の確保や物流の正常化など、市民 生活の安定を最優先に取り組みました。
具体的には、報道機関などを通じた全国への情報発信に加え、災 害対策本部の陣頭指揮に立つ市長が、電話や面会など、あらゆる手 法を駆使し、国会議員をはじめ、国や県、関係機関などに震災当初 から連日連夜にわたる再三の働きかけを行い、事態の改善に取り組 んできました。
その結果、生活関連物資については、国からの食料の提供や全国各地からの生活物資の支援に加え、3月 22日には大手コンビニの一部店舗が再開するなど、早期の物資確保や物流再開を実現することができました。 また、ガソリンなどの燃料についても、市内給油所のほぼ全店が閉鎖したなか、3月16日に市内11カ所の
れ での 要望の
避難 の 、
が の35 市民の避難 の 時 で 対 に している のの 民 民
民 民 議 議員議 議員 県
民 民
民 民
4 1 1 19 30
3 2 3 26 3 15
市民生活の
災 れた に対 る生活の 市民生活の 害の 消
の 害
の の 設 の
の 、 害の の 設 での
員の 、 対策の
発 連
福島 力発電 災害の
福島 害の 消力発電 災害に る の
の 出について を た 会の設 力防災対策を き区 (EP )の 大
東京電力㈱福島 力発電 地 の に る の
東京電力㈱福島 力発電 の 対策
の除染の 市民の 理
連 対策 の 地区の
業 に対 る業への対 、 の 、 フ の 業 の 業 開に けた対
の業への
、 R の の
災害への対 地災害 への対 災害がれき への対
生 連 業の
設の について
県 の の設置について 本市の災害対策、 、 への
を し要望
月 日 要望 要 望
っし
−8−
1 震災発生から
−9−
消防本部の活動
津波により沿岸部にある2つの消防庁舎が機能を失い、また、活動に必要な燃料も不足するなか、市 民の生命・身体・財産の保護のため、市消防本部は、自衛隊や警察、緊急消防援助隊、消防団、DMAT との共同による救助・捜索活動など、さまざまな活動に取り組んできました。
1 避難誘導と救助・捜索活動
3 重症患者の救急搬送
2 地震による火災発生
市消防本部は、市内沿岸部全域に発表された大津波警報を確認すると同時に、消防車両などで、市内沿岸 部の住民に対し、避難を呼びかけるとともに、津波発生後は被害を受けた負傷者の救急搬送や不明者の捜索 活動を行うなど、市民の皆様の安全確保や人命救助に向け取り組んできました。
また、翌12日からは、自衛隊や警察、緊急消防援助隊、消防団、DMAT(災害派遣医療チーム)との共同 で救助・捜索活動を開始しました。特に大きな被害を受けた久之浜、四倉、平薄磯、平豊間、小浜、岩間を 重点的に行うなど、4月26日までの延べ24日間にわたり救助・捜索を行いました。
震災から1カ月を経過した4月11日には、震度6弱の強い地震が本市を再び襲い、田人町石住地区で大規模 な土砂崩れが発生したため、緊急消防援助隊や県内消防本部の協力を得て救助・捜索活動を行いました。
津波被害や医療資機材不足などにより、診療可能な医療機関が減 少する事態になりました。市消防本部では、3月15日から30日まで の16日間にわたり、市総合磐城共立病院や市内医療機関と連携し、 県や自衛隊、緊急消防援助隊などの協力を得て、市内の重症患者な ど177人(内訳:救急車149人、各県防災ヘリ17人、自衛隊ヘリ11人) を医療体制の整った市内外の医療機関へ転院搬送しました。 地震により市内各地において火災が同時に発生する事 態となるとともに、上水道管の破損により市内一円が断 水となり、消火栓からの取水が困難な状況となりました。 このようななか、市消防本部は、迅速な火災防ぎょ活 動を行うため、水を積載したタンク車を出動させるなど の部隊強化を行い、火災の延焼拡大を最小限に止めるこ とができました。
平薄磯における消防団による捜索活動(3月28日) 田人町石住における市消防本部による救助・捜索活動
(4月11日)
四方木田臨時ヘリポートにおける自衛隊ヘリ による搬送(3月23日)
地震による ・ 動人
3 11 3 12 3 2 4 4 11 4 12
月日 ・ 動人
物 4 30隊111人、 1 3隊11人 物 2 18隊 5人、 1 3隊12人 物 1 隊23人
物 1 8隊23人 物 2 5隊20人 物 1 隊20人
1 震災発生から
−8− −9−
避難所の設置・運営
未曽有の大災害は、市内沿岸部を中心に甚大な被害をもたらし、震災翌日の3月12日午前には、市内 127カ所の避難所に、最大1万9,813人の方が避難しました。さらには、原発事故の影響で、市内はもと より双葉郡からの避難者が住み慣れた住家から離れて暮らす生活を余儀なくされました。
1 避難所の開設
市は、震災当日に避難所を開設し、翌12日 には、市内127カ所を避難所として開設しま したが、市地域防災計画で指定していた避難 所のうち、永崎小学校など4カ所が津波被害 により使用不可能となったことなどから、あ らかじめ指定していなかった高台にある寺院 や高齢者施設などについても避難所として使 用しました。
140 120 100 80 0 40 20 0
20 000
15 000
10 000
5 000 3 12 15 18 4 1 15 30 5 20 10 1 30 8 200 避難所
避難所
避難所 と避難 避難
避難
2 避難所における生活
3 避難所の閉鎖
⑴ 食事の提供
市は、避難所へ避難された方に対し、安定した食事を提供できる よう、当初は備蓄していた乾パンなどを提供したほか、震災翌日の 3月12日からは、市が独自に調達した米で炊き出したおにぎりなど の配給を始めました。
また、震災から1週間が過ぎたころからは、支援物資として全国 各地からさまざまな食料が寄せられるようになったことから、パン やおにぎりのほか、副菜として缶詰などを提供できるようになりま した。
なお、その間、地域住民の皆様や全国のボランティアによる炊き 出しも行われ、避難者の皆様に温かい食事が振る舞われました。
3月12日には最大となる1万9,813人が避難所に避難しましたが、物流やライフラインの回復などにより、 徐々に避難者の数は減り始めました。ところが、4月11日、12日に再び市内を震度6弱の地震が襲い、これ により新たな避難者が発生するなど、避難所の閉鎖までの道のりは困難を極めました。
このようななか、市は、避難所で生活する被災者の早期生活再建に向け、4月16日から避難者の方に対し 一時提供住宅の提供を開始し、震災発生から162日後の8月20日には、避難所を閉鎖することができました。
⑵ 日常生活の支援
市は、避難者にさまざまな生活支援を行いました。健康面では、 JMAT(日本医師会災害医療チーム)や市医師会との連携で、巡回診 療を行ったほか、㈳福島県栄養士会いわき支部などと連携し、個別 の栄養相談などを行いました。また、避難者のなかで、交通手段が なく、食料や日用品などの買い物ができない方のために、無料買物 送迎バスを運行したほか、避難所と自衛隊入浴サービスや民間入浴 施設との間を往復する無料入浴送迎バスを運行し、多くの避難者が 利用しました。
市内のほか双葉郡から多くの方が利用した避 難所(4月1日:FMいわき提供)
避難所における保健師による健康相談
(5月9日)
−10− −11−
国内外からいただいた支援物資
原発事故による風評で一時市外からの物流が滞り、食料などの生活関連物資の調達が極めて厳しい状 況に陥りましたが、全国の自治体や企業、団体をはじめ、個人の皆様からも多くの支援物資が贈られ、 辛うじて危機的状況を乗り切ることができました。全国の皆様から贈られた物資は、込められた善意に 応えられるよう、速やかに市民の皆様に届けました。
1 物資不足への対応
2 国内外からの支援物資の提供
3 一般家庭への物資の配布
震災発生直後、市は災害対策本部内に物資班を設置。翌12日には、 いわき平競輪場に支援物資集配センターを開設し、支援物資の受け 入れと受け入れた物資の配送を開始しました。
しかし、震災に加え原発事故による風評で物流が滞り、食料やガ ソリンなどの調達が極めて困難な状況に陥りました。
このため、市は事態の打開に向け、連日再三にわたり国や県など の関係自治体などへ、食料や水などの生活関連物資の確保を要請。 3月20日には市長が農林水産大臣に窮状を訴え、翌日から26日まで 1日約5万食の政府調達食料の提供を受けることができました。 さらには、市民の皆様から、物資の配送や医薬品、乳幼児品の提 供について、多くの協力をいただきました。
震災の翌日からは、他自治体や企業、団体、さらには個人の方々 からの水や食料、毛布などの提供など、多くの支援をいただきまし た。その数は100品目を超え、主なものとして、水が約91万リットル、 毛布が約9万枚、カップ麺が約28万食、レトルト食品が約18万食と なっています。
これらの支援物資については、震災翌日から朝晩の1日2回避難 所へ配送し、被災者の皆様の安定した避難生活に大いに役立ちまし た。
震災発生から1週間を経過しても、原発事故による風 評で市外からの物流が滞り、すべての市民が食料などの 調達が困難な事態に陥りました。
このため、市は3月21日から28日にかけて(全6回)、 市内24カ所の公民館などにおいて、行政嘱託員や区長、 民生委員、消防団、ボランティアの協力のもと、市民の 皆様に対し食料や生活用品の配布を行いました。また、 社会福祉施設や病院、保育所、幼稚園、小中学校、一時 提供住宅入居者に対しても、必要な物資の提供を行いま した。
震災から2週間が経過すると、安定的とは言えないま でも徐々に物流が回復してきたことから、3月29日から は、食料などの配布対象者を一人暮らしの高齢者など日 常生活の支援が必要な方に限定し、公民館などを拠点と して5月10日まで食料などの配布を行いました。
市東京事務所では、港区の全面的な支援のも と、港区スポーツセンターで食料品などを集 めた(3月28日:港区提供)
小名浜支所にも多くの支援物資が寄せられた
(3月30日)
消防団などにより支援物資が配られた(4月28日)
−10− −11−
医療機関の動向
ライフラインが寸断され、医薬品が不足するなど、市内数多くの医療機関が休診を余儀なくされたな か、市総合磐城共立病院は、市民の生命と健康を守るという市立病院の役割を堅持するとともに、多く の救急・重症患者を積極的に受け入れるなど、本市唯一の災害拠点病院として、また、地域医療最後の 砦としての役割を懸命に果たしてきました。
1 市総合磐城共立病院の動向
2 市内医療機関の状況
共立病院における地震直後の屋外退避
(3月11日)
慌ただしい救命救急センター(3月11日)
避難所においてJMATが巡回診療を実施
(4月3日:いわき民報社提供)
⑴ 入院・救急患者への対応
地震発生後、市総合磐城共立病院は、直ちに院内に災害対策本部を 設置。入院患者を屋外退避させる一方で、病棟被害の確認など、入院 患者の安全確保に努めました。
その後、主要ライフラインが3月14日までにはすべて復旧しました が、原発事故の影響により、避難区域のさらなる拡大が懸念されまし た。そこで、同院は、市消防本部などを通じ、市外の病院へ転院搬送 するための救急車や防災ヘリ、自衛隊ヘリを確保しました。そして、 NICU(新生児集中治療室)や小児科、産婦人科など放射線の影響を受 けやすい患者や退避にあたり困難が予想された人工呼吸器装着患者な どを搬送する際に、搬送先まで同院の医師や看護師が同行しました。 一方で、同院は、診療機能が停止・低下した医療機関からの重症入 院患者や震災で受傷した救急患者の受け入れを積極的に行ったほか、 市医師会と連携し避難所への巡回診療を行うなど、医師や看護師など 職員総動員で、市民の生命と健康を守るため、中核病院としての使命 を懸命に果たしてきました。
地震発生後から多くの医療機関が休診を余儀なくされる状況となり ました。市は、市内の医療体制を確保するため、3月12日から4月17 日までDMAT(災害派遣医療チーム)を、3月12日から5月3日までは JMAT(日本医師会災害医療チーム)を受け入れ、市医師会との連携で、 避難所など市内各地を巡回して診療を行いました。
また、3月13日には、市総合磐城共立病院から医療スタッフの派遣 を受け市休日夜間急病診療所を再開するとともに、3月20日および21
日には、市医師会が、市医師会館と市総合保健福祉センターで臨時診療所を開設し、診察および薬の処方な どを行いました。さらに、3月15日から4月3日までの20日間、歯科医師会の協力のもと、市総合保健福祉セ ンター内の休日救急歯科診療所で、応急的な歯科診療を行いました。
このようななか、水道やガス、電気など、診療や調剤に必要となるライフラインの復旧に伴い、市内の医 療機関の多くが、4月上旬には津波被災地区を除いた地域で外来診療を再開できました。
⑵ 外来患者への対応
同院は、原発事故による物資不足や、地震、津波の被害を受けた緊急を要する患者への対応のため、緊急 を要しない外来診療や定期手術を一部制限しました。また、市内医療機関の休診や調剤薬局の休業が相次い だことで、同院以外の医療機関をかかりつけとする多くの患者が薬を求めて来院したことから、通常は院外 で処方する薬を院内で処方する方法に切り替えるとともに、市薬剤師会や病院の門前薬局に開店を要請し、 協力連携しながら外来患者への対応を行いました。さらに-在庫が減少した医薬品は、同院職員が市外の問 屋へ直接出向いて調達しました。
とりで
−12−
1 震災発生から
−13−
大量の災害がれきの発生
市内沿岸部を襲った大津波により、壊滅的な被害を受けた沿岸部には大量の流出がれきが発生しまし た。さらに、4月11日と12日の直下型大規模余震により、内陸部も大きな被害を受け、がれきの量は70 万トンに達するものと推計されています。市は被災者の救助・捜索活動を迅速に進めるため、また、被 災者の生活を早期に再建するため、震災直後からがれきの撤去を開始するとともに、処分に向けた取り 組みを進めています。
1 流出がれきの撤去
2 災害がれきの集積・処分
市は、いわき市建設業協同組合との協定に基づき、地元 の建設業者の協力を得ながら、震災翌日の12日から重機を 用いた道路上などの津波による流出がれきの撤去作業を開 始。同時に、自衛隊や警察、市消防本部、消防団などによ る行方不明者の救助・捜索活動が始まりました。
津波被災地区における道路上の流出がれきの撤去は、4 月上旬には作業のめどがついたことから、早期の被災地復 旧に向け、4月6日からは敷地内に流出したがれきの撤去・ 搬出を始め、7月末にはおおむね完了しました。また、7 月からは津波により損壊した家屋の解体撤去・搬出を開始 し、現在も所有者の同意を得ながら作業を進めています。
これまで市は、災害がれき を一時的に保管する一次仮置 き場を市内19カ所に設置して います。
また、リサイクルを円滑に 進めるため、市内3カ所に二 次仮置き場を設置し、一次 仮置き場のがれきを「木くず 類」、「金属・家電類」、「コン クリート殻」などに分別し移 送するなど、計画的ながれき の処理に取り組んでいます。
災害がれきについて、当面の間、国により処分が制限さ れていましたが、6月23日に国から「福島県内の災害廃棄 物の処理の方針」が示され、本市でも一定の条件で災害廃 棄物の処理が認められました。このため市は、7月からが れきなど災害廃棄物の処理を進めています。
具体的には、コンクリートやアスファルトは道路の路盤 材などに、鉄やアルミニウムなどの金属類は鋼材の材料に、 木くずなどは住宅用建材にそれぞれ活用するなど、リサイ クル処理を進めています。
また、同方針により、可燃物については一定の排ガス吸
着能力を有する施設において焼却が可能となり、不燃物については管理型最終処分場に埋め立てが可能とさ れていることから、施設周辺地域での説明会を開催するなど、焼却や埋め立て処分の処理に向けた準備を進 めています。
災害がれき処理フロー図 被 災 地
19 き)
金ン
のご ご ご
き) 生利イ )
て 金ン
久之浜地区での重機による流出がれきの撤去作業
(4月26日)
品目ごとにがれきが分別された新舞子ハイツグラウンド
(平成24年1月11日)
1 震災発生から
−12− −13−
義援金の受け入れと配分
自宅の流出や家屋の倒壊など大規模な損害を受けた方などに対し、全国各地、さらには国外からも義 援金の申し出をいただきました。市は、被災者の皆様の早期生活再建に向け、いただいた義援金を速や かに配分できるよう取り組み、住家の半壊以上など、受けた被害の状況に応じて支給しました。
1 国内外からいただいた義援金
2 県内で最も早い配分
市は、3月17日に義援金の受け入れを開始しました。義援金については、お寄せいただく方に、使用目的 として①被災された方の「生活支援」、②市の「災害復旧・復興」のいずれかをあらかじめ選択していただくこ ととしました。
平成24年2月1日現在、本市には約14億円、国(日本赤十字社など)や福島県を通しての配分も合わせると、 約311億円の義援金が寄せられています。
このうち、①「生活支援」を目的とする義援金につ いては、被災者の皆様に一日でも早く配分できるよ う、4月14日に第1回目の配分委員会を開催。本市 としての義援金第1次配分を1世帯あたり5万円とし、 県義援金と合わせ4月16日より配分を開始しました。 本市の第1次配分については、県内で最も早く配分 を開始することができました。
その後、7月25日には第2回目の配分委員会を開 催。第2次配分では個人を単位として配分すること とし、7月29日より順次配分を開始しました。平成 24年2月1日現在で、申請のあった3万3,369世帯の うち、95.3%にあたる3万1,804世帯に支給しました。 また、②「災害復旧・復興」を目的とする義援金に ついては、市の予算に計上し、平成24年度以降、市 の復興財源として有効に活用します。
このほか、義援金とは別に本市独自に、被災者の 生活支援を目的として、住家に半壊以上の被害を受 けた方々へ被災救助費の支給も行っています。
本市出身学生らによる団体「Little IWAKI」より、都内大学の学園祭で 芋煮を販売した利益が義援金として寄せられた(12月28日)
寄せられた義援金の内
(平成24年2月1日 )
1 9 9 1 2 26 4 98 1 192 4 2 9
2 61 6 8 8 988
2 2 2 2 1 9 1 2 228
4 2 9 本市に寄せられた義援金
ら本市に 分された 義援金
ら本市に 分さ れた義援金
に る生 援のた
のたらの 内 訳
区分・用途 金額(件数)
義援金の配分額 区 分
住家が全壊 住家が半壊
(大規模半壊含む) 福島第一原発から30㎞ 圏内(旧屋内退避区域)
死 亡 者 震 災 孤 児 震 災 遺 児
配 分 額 第1次配分
(1世帯当たり) (1人当たり)第2次配分
※配分額は国(日赤など)や県、市の各種義援金の合計です。
※原発事故に伴う避難による配分と、住家被害による配分を 重複して受けることはできません。
45万円 28万円 45万円
23万円 11.5万円 3万円 73万円 100万円 50万円
−
−
(1人当たり)35万円